最近、歳を取るのが怖いと思うようになってきました。
病気の可能性が高まるとか、今まで出来てたことが出来なかったようになるとか、そういう理由ではありません。
自分が、何が出来るようになっているか分からないのが怖いのです。
僕は今、自分とひと回りもふた回りも年の離れた人と仕事をさせてもらっていますが、彼らは本当に尊敬できます。
自社の製品に関する知識は半端ではないし、取引先との関係作りもとても上手い。
やはりこれが、何十年も働いてきた人の実力なのかと思い知らされる感じがします。
ただ、彼らにパソコン周りの知識は全くと言っていいほどありません。
やはり今までの人生であまり触ってきた経験が無いのだということははっきり分かります。
その辺りは、まだ子供の頃からパソコンに触っていた自分の方が勝っているくらいです。
なので、パソコン系の知識は逆に僕が教えるくらいなのですが、僕は時たま「普段あんなに凄いのにこんな簡単なことは知らないんだな」と思います。これは馬鹿にしているというよりは、驚きという方が正しいです。
何というか、僕が普段接する人の持っている知識が非常に偏っているからこそ、僕は、年を取った人間というのは過去の積み重ねで出来ていることを強く意識します。
例えば今50歳の人がいたとすると、その人は50年の積み重ねの末に今この場にいるわけです。
となれば、その人の言動や考え、知識にはその人の50年が詰まっていると言っても良いでしょう。
当然、会社で働いてきた人はその会社で働くうえで得てきた知識には非常に詳しくなりますし、また知らなかったことについては全く分からなくなります。
これが正しいとか間違っているとか言うよりは、そういう事実があるんだということを僕は意識するようになりました。
となれば自分に話を戻すと、例えば僕が50歳になった時、一体何が出来ているでしょうか。
今の会社の人たちを見ていると、だいたい自分がどんな知識を得ているだろうかは分かります。
ただ、だからと言ってそれが自分にとってしっくり来るかどうかはまた別の話です。正直なところ、僕が今の会社で定年までいる気が全くしません。
ならば別の道を考えるとして、例えば会社を辞めた後のことを想像してみると、正直まだ何の想像もつかないのが事実です。
なのでこのままいくと、僕はどんな50歳になってるのかよく分かりませんし、最悪ダラダラ生きて何の生産性も無いクソみたいな人生を送っている可能性も大いにあります。
その辺が微妙に想像できてしまうのが、冒頭で僕が歳を取るのが怖いと言っているところです。
ただ、裏を返せば何になるか分からないということは、何にでもなれる可能性があるというところ。
将来についての不安って、基本的にその場で解決しないですから、正直悩んでも無駄なのでは?という気もしています。
50歳にどんな人間になっているか分からないって、当たり前ですが50歳になるまで分からないですからね。
何になれるか分からないってことは、裏を返せば縛られていないということなので、好きに生きれば良いような気もします。
50歳の僕は、50歳になるまでの積み重ねで生きているはずなので、それはつまり今の僕も50歳の僕の一部ということ。
なので今を楽しく生きていれば、50歳になっても楽しく生きていられるはずですね。
というわけで結局は、今やりたい事をやっていれば良いんじゃないかなっていう結論に達しました。
今度、やりたい事リストでも作っておこうかな。
ちなみに僕はよく、悩み事が出来ても今回みたいな感じで「悩んでも仕方ない」って感じに持っていくのですが、その根底にはホリエモンの本を読んだ影響があります。
僕はホリエモンの本けっこう好きなのですが、なぜかと言うと読んでて爽快だからです。
悩んでも仕方ないし、迷ってても仕方ない。迷うくらいなら行動しろ。そういう考えが文章の端々から伝わってきます。
自然、読んでる方もなぜかやる気が出てくるので、僕はわりとホリエモンの本を読むのが好きです。
最近また本を出しました。
時間についての考えが書かれた本で、読んでると無駄な時間を無くさなきゃ、みたいな気分になります。
ちなみに「余計な悩みの原因は暇があるから」ということも語っており、ぶっちゃけ僕の最初に書いたような悩みも暇があったからなのかなと思ったり。
そうするとますますやりたい事でもやって暇を無くした方が良いように思えますね。そういう生き方をもっと頑張ろうかなと思います。