おはようございます。しんぺいです。
「弱さは罪」とはヴァンガードのアニメに出てくる神崎ユウイチロウのセリフでありますが、僕は正直この言葉があまり好きではありません。
なぜなら、「強者が使う言葉」って感じがするからです。そういう言葉を使って許されるのは当然強いやつだけで、弱くなった瞬間にその言葉は自分に跳ね返ってくることになります。
なんでこんなこと言い出したかって言うと、やっとのことでカード化した神崎ユウイチロウのカードである「クラレットソード・ドラゴン」がめっちゃ安いからですね。。。
同パックに収録された他のVRはみんな1000円超えてるにもかかわらず同レアリティの「クラレットソード・ドラゴン」だけ1000円切ってる。ていうか場所によっては500円台のとことかある。
VRが安いってのは言わずもがなその性能を低く見られているわけで、実際「クラレットソード・ドラゴン」の効果は手放しに扱いやすいとは言えないでしょう。
ただまあ「クラレットソード・ドラゴン」の使用者が使用者なだけあって、「(値段の)弱さは罪」といじられるようになった、というわけです。なんだかなあ。
こういう現状を見るに、やっぱり強者ってのは強くあり続けなければならないんだなあと思った次第です。
よく他人に強い言葉を吐く人がいるけど、ああいうのよく出来るよなあって思います。
何となく会社で働いて三年くらい経つから色々察してきたんですが、強い言葉を使って他人の上に立とうとする人ほど、意外と大したことなかったりします。
大したことないだけだったら良いんですが、何かやらかした時の落ちようがハンパない。普段蹴落としてるようなもんですから誰も助けてくれないのです。
それよりも、ぱっと見落ち着いてる人の方がめちゃくちゃ頼りになったりするし、逆に困ってたら力になりたくもなるから、変に強くなる必要なんてないなと思ったりします。
話をカードゲームに戻しますが、カードゲームでも強さ第一主義の人はいますよね。弱いやつ、弱いカードに価値はない、と思ってる人。
僕はこういう人にならないようにしなければならないと思っています。余計なところで損をしそうですから。
僕にとってカードゲームは楽しく遊ぶための趣味なので、あんまりピリピリしても仕方ない。
もちろん強いに越したことは無いのですが、二番目でいいや、ということです。一番は楽しさ。
人によって一番は違うのは分かるけど、とりあえず自分はそれで良いと思っています。
クラレットの値段が安いというところからずいぶんな話までしてしまいましたが、細かい物事に対する感じ方には自分の姿勢というものが入ってる気がしますね。
そう言えば最近ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読みました。僕はこの本も、強者たることを求め続けられたゆえの悲劇を書いてると思うんですよね。色々考えさせられる本なので読んで欲しい一冊。読んだ後の虚しさがハンパない。