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カードゲームと民度について カードゲーマーの民度は低い?

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おはようございます。しんぺいです。

面白いツイートを見つけました。

そう言えばカードゲームやってるとちょいちょい民度って言葉を聞くけどあんまりちゃんと考えたことないなあと思わされたので、今回はこのツイートに沿って僕の思う「カードゲームと民度」について考えてみようかなと思います。

 

ちなみにこのツイートを見た時、直感的に感じたこととしては

カードゲーム民は民度低い人が多いけど一生解決される気がしないので気にするだけ無駄

ということです。

 

記事を書くことを通して色々考えてみましたが、結論は変わりませんでした。

それではツイートを基に、順番に考えていきましょう。

 

民度という言葉について

まずはカードゲームにおける民度って何かをはっきりさせておきましょう。

とは言え、正確に定義されてるわけでもないので池っち店長のツイートと僕の主観で話を進めていきます。

 

池っち店長のツイートには民度という言葉を、「精神的、道徳的な成熟度」として考えるとあります。

つまり、

  • 民度が高い・・・精神的、道徳的に成熟している
  • 民度が低い・・・精神的、道徳的に未熟

とも言えますね。

 

ちょっと抽象的なので、具体的な話に落としてみましょう。

 

まず精神的、道徳的に未熟なカードゲーマーとはどんなものか。

ここは人それぞれ思う像があると思うのですが、僕は「むやみに他人を不快にさせる人」だと考えています。

 

大会とかフリーでちょいちょい出くわすのですが、

  • 挨拶しない
  • 効果宣言しない
  • 人のデッキをディスる
  • 負けると不機嫌になる

書き出すとキリがありませんが、人を不快にさせるカードゲーマーは一定数存在します。

 

カードゲームはコミュニケーションを通して行うはずのゲームなのに、相手のことを何も考えていないふるまいをしているような人は「精神的、道徳的に未熟」と言って良いんではないかなあと思います。

 

そしてそんな中だと、僕の中では「他人を不快にさせないカードゲーマー」というのはめちゃくちゃ民度の高い人です。

  • 挨拶する
  • 効果宣言してくれる
  • 人のデッキをほめる
  • 勝っても負けても楽しそう

逆にしただけですが、こう並べるとめっちゃできた人っぽいですね。

これらをやってくれる人はかなり貴重な存在だと僕は考えています。遊ぶならこういう人が良いですね。

 

まあ人それぞれ思うところはあるでしょうが、「相手を不快にさせるかどうかが精神的、道徳的に成熟してるかどうかの判断基準」だと僕は考えています。

 

民度は誰が決める?

この記事では民度のことを「精神的、道徳的な成熟度」としています。

「精神的、道徳的な成熟度」というのはかなり抽象的な話で、要するに目に見えにくい。

 

なので僕は先の項で、精神的、道徳的に成熟しているか否かはどういうところで見るかの判断基準として、カードゲーマーの態度を挙げました。

態度というのは目に見えるから分かりやすいのです。

 

ただ、ここで1つ気にしておきたいのは、態度の良し悪しは誰が決めるのか?というところ。

結論から言うと、態度の良し悪しを決めるのは、自分以外の誰かです。

態度の良し悪しとは、その態度を見た人がどう感じたかで決まるからです。

 

例えば、態度の悪いカードゲーマーAがいたとしましょう。

Aさんのことを態度が悪いと評するのは、間違いなくAさん以外の誰かです。

なぜなら、いくらAさんが自分のことを態度が良いと思っていても、相手がそう思わなければAさんは態度が悪い人という評価が出来上がるからです。

 

基本的に評価というのは他人から与えられるものである、と僕は考えています。

 

コミュニティの民度

今まで書いてきたカードゲームと民度についての僕の考え方は以下の通りです。

  • 民度はカードゲーマーの態度で決められる
  • 態度の評価は自分以外の誰かが決める

 

ということで、話を次に進めていきましょう。

すなわち、

  • 自分のいるコミュニティの民度は高いか
  • 自分の遊んでいるゲームや趣味の民度は高いか(今回はカードゲームについて)

ですね。

 

ではまず、「自分のいるコミュニティの民度」について考えていきましょう。

先ほど「評価は他人が決める」と言いましたが、評価は他人から与えられるものとすれば、「自分のいるコミュニティの民度」を図ることは可能なのでしょうか。

 

僕は自分のいるコミュニティの民度を図ることは無理なんじゃないかと思っています。

なぜなら、コミュニティの民度を評価するのはそのコミュニティの外にいる人だと思うからです。

 

例えば僕は友達とちょくちょくカードショップのデュエルスペースで遊びます。

僕はよく一緒に遊ぶ友達のことは民度高いと思っています。別にディスったり、不機嫌に対戦するような仲ではありませんから。楽しく遊べているので、民度が低いなんていうことはありません。

 

ただ、白熱して少々騒ぎすぎてしまうことがあるのもまた事実。

それを外から見た場合はどうでしょうか。

「あいつらうるせえな」って思われるかもしれません。正直ぼくもデュエルスペースで必要以上に騒ぐやつらは「うるせえな」って思います。

そうなると、この場合僕らは「民度の低いカードゲーマー民」になるわけです。

自分では民度高いと思っていても、外から見るとまた違う可能性がありますね。

 

自分の評価と外から見た評価が違うことは普通ですし、両者が食い違った場合、外から見た評価が優先されるのはよくあることです。

自分についてどういう評価を持とうが勝手ですが、最終的に決めるのは周りですから。

 

となれば、自分のいるコミュニティの民度についての自分の評価は、どうしても主観的なものに留まります。

なので僕は、自分の属するコミュニティの民度を図ることは無理なんじゃないかと思っています。

 

実際ぼくは自分のことを民度高いと自分で思っているのですが、本当のところはどうなんでしょうね。

これもいくら自分で言ったって仕方のない事で、周りの評価によって決まることです。

 

カードゲーム界隈の民度は低いし、変わらない

次に、カードゲーム界隈の民度について考えてみましょう。

 

僕はカードゲーム界隈の民度は低いと思っています。

大会で当たる人も人を不快にさせるような人が多いし、ネットを見れば罵詈雑言飛び交っていることはしょっちゅう。

動画のコメント欄なんか、「お前それ面と向かって本人に言えんの?」と言いたくなるようなコメントも珍しくありません。

 

民度が低いと感じるような人に出会うことは珍しくないので、「カードゲームやってる人ってこんなんばっかかあ」と思うことは多いです。

 

ただまあ僕もカードゲームやってる側の人間なので、先ほどの「評価は自分以外の誰かが決める」という考えに則って、カードゲームやってない人から見てカードゲームやってる人はどう見られているかで考えてみましょう。

 

最近はポケカブームもあってか、デュエルスペースにも最近カードゲーム始めたのかなって人も見かけるようになりました。あと親子連れとか。

その中でめっちゃ嫌な光景を見てしまいました。

近所のカードショップにあるデュエルスペースでのポケカの大会だったと思うんですが、たぶん高校生くらいの子供と、小学生くらいの子供が対戦していました。小学生の方は親子連れです。

 

で、その高校生くらいの子がめっちゃシャカパチして早口でしゃべるタイプで。もう威圧感ハンパないんですよ。

たぶん僕が対面してても「なんやこいつこわ・・・」って思うくらいです。

僕は横から見てただけですけど「ええ・・・小学生相手にそんな態度取る?」みたいな感じ。

もうその小学生の心情を推して知るべしですよ。親とか気が気でなかったんじゃないでしょうか。

 

あんまり見たいもんでもないし関わりたくも無いのでさっさとその場を離れてしまいましたが、あの親子どうなったんだろうってちょっと気になります。

 

で、ここから先は僕の偏見も入っていますが、絶対あの親子はカードゲーマーに良いイメージ持たなかったと思うんです。

さらに言うとこういうことって珍しくも無いんだと思います。

 

最初の方で言った民度低いカードゲーマーの態度、僕も大会に出た時に全部出くわしたことありますからね。

もし僕が初心者の時に出会ってたらマジで大会に出るやつのこと嫌いになってたと思います。下手したらカードゲームが嫌いになったかもしれない。

タイミングの問題なだけで、初めて出た大会の相手がめっちゃ嫌なやつだったって普通にあり得ることだと思います。

 

初心者とか一緒に付いてきただけの人とか、カードゲーム界隈をちょっと覗いてるだけの状態の人っているじゃないですか。

そういう人たちに向かって平気で不快にさせる態度を取る人がいるという時点で、カードゲーム界隈の民度は低いと言って差し支えないと思います。

 

さらに言うと、こういうのって止められないと思うんですよ。

これが単なる身内なら、「それはやめとけよ」くらい言えますが、世のカードゲーマー何人いることか。

とても誰かがコントロールしきれる数と範囲ではありませんし、各々が自制するしかないと思います。

 

ただ現実問題それが出来るなら、今まで僕は態度悪い人に出くわしてなんていないと思いますし、カードゲーム界隈の民度低いという評価は覆ることは無さそうだ、というのが僕の結論です。

 

どこまでを自分の場所とするか

「人は所属している場所の民度に染まる」とは池っち店長のツイートにあった言葉ですが、先ほど民度が低いと自分で評したカードゲーム界隈に居続けると、僕も民度の低い人間になってしまうのでしょうか。

 

楽しく遊ぶはずのカードゲームで相手を不快にさせる・・・。

 

正直ぼくはそんなの嫌ですし、何より自分が楽しくない。

となれば対処法を考えなければなりません。

僕の場合はもう決まっていて「不快な人と一緒に遊ばない」ことにしています。

 

端的に言うと大会に出なくなりました。

去年はちょいちょい出ていたんですが、あまりにも不快な人に会う率が高いのでもう出ていません。もう半年以上は出ていないと思います。

 

今は楽しく遊べる人とだけ遊ぶようにしています。

池っち店長のツイートになぞらえて言ってみると、「自分の居場所を限定させる」という感じでしょうか。

民度の低い人との居場所を持たないことで民度を保つイメージ。

正直なところ、カードゲーム界隈の民度がどうたらとかいう主語の大きい話には興味が無いので僕はこれで良いと思っています。

 

まとめ

カードゲームと民度について書きました。

結局のところ、「カードゲーム民は民度低い人が多いけど一生解決される気がしないので気にするだけ無駄」という最初に話したところに落ち着きます。

明らかに自分の手でコントロールできる問題ではないですからね。僕にできることは、自分はどうしていくかということだけです。

 

ただこういう話題を考えるのは面白いですね。普段漠然と流していたことについて考えるのは、疲れるけどためになります。

何が正解って話でもないんですが、自分にとってどうしていくのが良いのか考えてみてはいかがでしょうか。

 

最近サン=テグジュペリの『人間の土地』を読みました。サン=テグジュペリは『星の王子さま』の作者。

職業飛行家でもあった作者の壮絶な経験を踏まえたエッセイなんですが、「人間は何のために生きるのか?」を強く問うてきます。こういう凄まじいのを読むと自分もちゃんとしなきゃと思って、民度の低いふるまいなんてしようと思わなくなるので一度は読んでみることをお勧めします。

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